父のガン・看取り、そして想い出

2013年11月 6日 (水)

昭和30年代にもあった。

父のアルバムに1通の茶封筒が挿まれていた。
差出人は父が自衛隊にいた頃の、一等陸尉から実家宛てに届いた手紙だった。

父が元気に過ごしているという様子がしたためられたあと、
「最近自衛隊の畄守宅を狙う詐欺事件が相次いで各地に発生しております。・・・・今迄発生した事件で犯人は次のようなことを言っております。」とあり、

一、お宅の息子さんと同僚で親しく付き合っておるものです。

二、お宅の息子さんが交通事故で他人に怪我をさせた。その医療費を払わなければ警察で調べられる。

三、お宅の息子さんは汽車の中でけんかして窓ガラスを壊した。その代金を弁償しないと警察沙汰になる。

四、お宅の息子さんが旅行するのでその旅費と小使を貰って来てくれと頼まれた。

五、お宅の息子さんが洋服をつくったが、その代金を支払わない。

このままだと警察沙汰になる等の詐言を言って自衛隊員になったり、鉄道員になったり服屋になったり、種々様々の人になって各家庭を訪問し金品を取っております。
このような者が訪問したときは、先ず中隊に照会して確認しない限り絶対に金や品物を渡さぬようにして下さい。

・・・どこかで聞いたことあるようなセリフ?
現代のオレオレ詐欺みたい。 この時代にもいろいろあったんだなぁ。

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昔の写真の中に、昭和34年の弘前駅の写真があった。
ベレー帽はたぶん、父の兄。

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そして そして、弘前の親戚と思われる写真があった。

Photo_12

写真に写っている看板をよーく見てみると、「医大前 洋々軒」と書いてある。

中華そば 40円 
焼きそば 50円

昭和の30年代の値段
提灯の上には「100円で飲み喰い」とも書かれている。

この方は祖父の兄弟の奥さんだろうか??
詳しいことはわからないけど、弘前にいたという親戚に間違いない。
そして、この様子だと、食堂を営んでいたようだ。

ネットで、医大前、洋々軒で検索してみたが、見つからなかった。
当たり前か、、、これは昭和33年頃の写真のようだし。
今存在していたなら、ぜひ訪ねてみたかった。

このお店があった場所は今どうなっているのか?
それだけでも確認できたら嬉しいのだけれど・・・。
ここがあった場所がわからない。

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2013年11月 5日 (火)

父が遺してくれた家族のアルバム

父の一周忌も過ぎましたが、ほぼ毎日父のことを想わない日はなく・・・
ときどき、父へのいろんな後悔を感じて、辛さと悲しみに暮れています。

そんな中、父の撮った写真を整理をしようと思いました。
分かってはいたけれど、父の遺した写真は膨大な量でした。
父と母の独身時代の頃から、家族になってからの写真、私たち子どもの写真、
親族との毎年の旅行写真等々・・・
父や母がそれぞれどんな風に生きてきて、その後結婚し、
私たち子どもが産まれ、家族となってからどんな様子で生活していたのか・・・
そんな家族の歴史が辿れる写真でした。

特に印象的だったのは、私に渡そうと思って?作っていたみたいなアルバム。
産まれたときの写真から始まり、日常の写真も含めつつ、幼稚園、小学校、中学校・・・(高校生以降は写真を撮るような機会も殆どなかった為、写真がなかったが)
最後のページには、父と母の独身の頃と結婚したときの写真が貼ってあった。

これを見たとき(他の写真もだけれど)、自分はこんなに愛されていたんだなぁと感慨深い気持ちでした。
そして父や母の若い頃の写真には、親ではない父と母の青春時代や社会の様子を少しですが見る事ができて、こんな時代があったんだなぁーと、時代や郷愁を感じることができて、楽しくもあり、大事に遺していきたい宝物だと感じました。

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少しだけ思い出を・・・。
昔の写真は白黒で、大きさも色々あって、今の写真よりずっと魅力的に見えた。

【父は陸上自衛隊〇〇駐とん部隊にいた事がある】
かまえている銃は、“ヒザ射ちカービン銃”だと書かれていた。

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【市内での花祭りには自衛隊も仮装行列して参加することもあったようだ】

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【24歳くらいのときの父。(海は若い頃から好きだったようだ)】
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写真にはコメントが書いてあるものが多いので、その頃の様子や気持ちが感じられて、思わず微笑んでしまう。

父は写真をアルバムに貼るとき、けっこう凝っていて、斜めに貼ったりという感じなのだが、
それを見たときに(教わった訳でもないのに)私自身が何かを貼るときの貼り方(斜めにしたり)やコメントの雰囲気が、父とそっくりだったという事を、これを見て知り、驚いた。
こういうのって、遺伝子だなぁと思わずにいられない。

また父の写真は、良い構図(ポーズ?)で撮れていて、自分でもカッコいいと思っていたみたい。(笑) 
・・・私が言うのも変ですが、若い頃の父はカッコイイ。
そして父の兄は、もっとカッコいい。

父の母の弟が出兵するときの貴重な写真が遺っていた。
【皆、若くして戦争にいった時代】 万歳をしていても、誰ひとりとして笑顔はない。
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【母の実家が八百屋を開店した当時の貴重な一枚】

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【母の姉妹は皆、舞踊を習わされていたようだ】

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私自身は今まで人物の写真には興味がなく、ほとんど撮らなかったが、
父の撮った写真は人物を写したものがほとんどだった。

亡くなってしまった今、父の遺したたくさんの日常が写った写真を見ることができて、
本当に何より幸せな贈り物だと思った。
私もこれからは、自分や家族、友人との写真を、何気ない日常の中でたくさん写真に撮って生きた証し(というのは大げさかもしれないけど)残しておきたいと思いました。
そして、お気に入りの写真は押し入れなどに仕舞っておかずに飾る。

昔ある人が言ってたことで、写真をいっぱい撮る家族は離婚しないって。
まぁそれはどうかはわかりませんが、
人物を写真に遺すという事は、大切にしたいという表現のひとつなのでしょうね。

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2013年7月14日 (日)

新盆

昨日、初めて親のいない新盆を迎えた。

新盆を自分たちでやるのは初めてだったが、弟が新盆セットを購入。
その中に、精進料理が簡単に作れるフリーズドライが入っていた。
湯で戻すだけで立派な精進料理が出来上がる。
私たちはきちんとした朝ごはんは食べないので、これには助かりました。

みな、帰ってきてくれているかな??

亡き親への想い・・・
母親は20年以上も前に亡くなり、もう悲しみは癒えたけど、
できなかった親孝行はいつまでも心残りだ。
そして時々、この年齢になると想う。
母親と女2人で美味しいものを食べに行ったり、温泉旅行行ってみたかったなぁと。

父親とは口喧嘩もしたけど、亡くなって、もう何も会話ができないこと、
親孝行ができないことが、いろんな場面で思い出して寂しい。
まだまだ長生きしてほしかった父親。
その気配が生活から消えてしまい、まだまだ悲しく寂しい気持ちがいつも心の片隅にある。

もうすぐ8月。
去年の8月は父と家族と親族で、最後の温泉旅行をした月。
その温泉旅行からもうすぐ1年とは、人生は、この頃・・・過ぎるのが早い。

正直なところ、放射線治療はともかく、
抗がん剤なんて投与させなければ良かったと思っている。
そしたら、きっとまだ生きていたんじゃないかと思う。
徐々に悪くなっても、その方が色々できただろうし、楽だったんじゃないか?
きっと75歳なら放置が良かったに違いない。

だって、抗がん剤をしてから急激に悪化したのだから。。。
痛みや吐き気、すべては抗がん剤をしてから急に出た。
父は治療を始める前までは、ふつうに食事を食べて、車も運転し、温泉旅行も行っていた。

抗がん剤投与では、肝臓癌はほとんど小さくもならず、増えていった。
おまけに2度目の大量抗がん剤投与後しばらくすると、骨転移の腫瘍から出血。
胸水もたまり、1か月の入院と放射線治療という道を辿った。
その後一気に痩せて、食べられない、車も運転できないどころか、寝たきりになった。そして、望みも、生きる気持ちも失ってしまった。
結果、抗がん剤で何一つ、好転はなくて、急激に悪化しただけだった。

もう悔やんでも父は戻ってこないけど、父の投与した抗がん剤の治療には未だに後悔の念が湧いてきます。

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2012年12月28日 (金)

親の存在

父が亡くなってから悲しむ時間もなく、葬儀やいろんな手続きに終われ、
あっという間に3ヶ月になろうとしています。

その間、お悔みの言葉を下さった方々へお礼申し上げます。

clover 亡くなった後、父は葬儀前に私の夢に出て来てくれました。
ベッドに横たわる父に私が何かを伝え終わると、いい笑顔でとても穏やかに、
にっこりしていました。
その何とも言えない穏やかな笑顔で、あぁ、父はもう苦しんでなくて、穏やかなんだなぁと、感じることができました。

実際に、なくなる前夜は、父に感謝等の気持ちを伝えることができ、
父は私に「ありがとう、ありがとう」と、声を振り絞って言ってくれました。
いろいろ伝えることが最期にできて、本当に良かったと思います。

葬儀が落ち着いた頃、家の中を整理していたらたくさんのアルバムが出てきました。
職場、旅先などで、いつも多くの友人に囲まれている父の若い頃からの写真。
小さい頃の私の写真や家族の写真。
父の撮る写真は殆どが人物写真ばかりでした。

その、たくさんの写真を見て、(そう言えば、自分は父親っ子だったなぁ・・・)と思い出し、生前は喧嘩もしたけど、亡くなってみて、良い父親だったと思い知りました。

本当にこれで両親とも居なくなり、かけがえのない大きな存在が消えてしまいました。
親が居なくなってしまうということは、本当に寂しいもんです。
「居る」、という存在だけで、安心感があって支えられていたんだなぁ、と。


これからは、先に旅立った母、そして、その後ずっと迷惑をかけずに私たちを支え続けくれた父に感謝して、がんばって生きて行かなければ・・・と思います。

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2012年11月 1日 (木)

ご報告

10月3日、父が永眠いたしました。

もう少しがんばってくれるのではないかと思っていたのですが、
最期は肺炎にかかってしまい、
自宅で、医師、伯父、恋人、そして私と弟が見守る中で、静かに旅立って逝きました。

亡くなってしまった今、振り返って思うことは、
まったく介護の苦労も、お金の苦労もさせなかった父だったということでした。

それなのに、
その時はそんな風に思えずにいろんな事に悩んでいました。

そんな私に、皆様から励ましと温かい言葉をかけていただき、とても助けられました。コメントを下さった皆様には本当に感謝しています。ありがとうございました。

11月中旬頃・・・
四十九日の法要後に、父の事をゆっくり書き留めたいと思っています。

(コメントのお返事もしばらくできませんが、待っていてくださるとうれしいです。)

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2012年9月27日 (木)

40代からの息子介護が増えているらしい

少し前に 「TXNザ・ドキュメンタリー いま助けてほしい -息子介護の時代- 」 というのを放送していました。

冒頭からかなり衝撃的な内容に、正直、こんなときに見て重い気分になりましたが、
厳しい介護の実態に、他人事ではないなぁ(独身の弟が要介護になったら? 自分が要介護になったらどうする?!・・・)と、備えのない自分は恐ろしくなりました。

番組は、フリーライター(当時52歳)野田さん親子の介護の様子から始まりました。

●野田さんは75歳でアルツハイマーになった寝たりきの母親(当時81歳)の介護を始めてもう10年。一人で介護をされています。
その介護生活で仕事もほとんど出来ず、母親の年金で生活されているということでした。

とても優しい顔で細かい介護をされている野田さんですが、 かつて「お酒を飲んで介護していたとき、何かの瞬間にイライラしてきて手が1回出たら止まらなくって、母親を平手で叩いて肋骨を折ってしまった」という。
それ以来、一年間禁酒。 今は1日ミニ缶のビール一杯と決めているという。

野田さん: 「でもなぁ、やっぱり、(介護を)やってないもんじゃないと、気持ちはわかんないっていうところが皆あるんだよな。」

そんな野田さんの部屋には一枚の紙が貼ってある。
pencil 「出来ないことは押し付けない! 抱きしめる!」

野田さん: 「開き直らないと息子は介護できないと思うよ。(オムツ交換で)
ん~、・・・・母親の性○を見るのは、ちょっと勇気がいると思うよ。」

・・・・・・・(それは、介護を始めた私には衝撃的な言葉でした。)

野田さんのブログより ~

“ 「もう、ワシを解放してくれえ、ホンマ」 
和ちゃん(母)は泣き始めた。  オレは、発狂しそうになる。”
“ 「自由がもう一度欲しくてしかたがない」 無理を承知で書いている。”

※ 野田さんは「野田明宏ネット」というHPで母親の介護生活を日々公開されています。(野田さんのお母様は番組の収録中に天国へ旅立たれました。)

http://www.noda-akihiro.net/index.html

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● 認知症になった父親を1人で介護する息子さん。(確か50代初めだったかと)

介護に追われ、仕事は辞めざるを得なくなってしまった。
認知症の父親は徘徊したり、家の壁を物で壊したり、息子の腕に噛みついたり。
ちょっと目を離すと、タバコの吸殻を飲み物と間違えて飲もうとする。

毎日大量の洗濯物など、休みなく動き回る日々。
せめて月に1回数日間だけでもショートステイを頼みたいが、「楽な状態の人」しか受け入れてくれないという。(目の離せない人だとその人に1人が付きっ切りで居なければならない為)。

その息子さんが言う。
「サポート態勢がない、今がきつい。いま助けてほしい。
お題目とかきれい事はいいから、いま助けてくれよと。」

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● 脳梗塞で倒れ寝たきりの母親の介護に疲れ、殺めてしまった息子さん。(50代)

その息子さんは、寝たきりの母親を喜ばせるために、壁一面に絵を書いていました。
きれいな色で書かれた花火や富士山、そしてお花畑。
そして、毎日びっしり母親の様子をとても細かくノートに書いていました。
(愛情を持って付きっ切りで介護されていた息子さんの様子がわかります。)

最後は母親の痰を取るために、10分おきに吸引。
昼夜問わず、10分おきの吸引。でないと死んでしまうからだと言う。
「眠い、本当にゆっくり眠りたい。」
当初一年だと言われた介護は丸8年。 そして殺めてしまった息子さん。
しかし、長期に渡る献身的な介護を見ていた近所の人たちが嘆願書を提出。

息子さん: 「絶対早まったことをやったら駄目だ。 一生苦しむよ、本当に苦しいから。
介護をしてるのも苦しいかもしれないけど、それ以上の苦しさになっちゃう。」

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今、介護する人の1/3が息子という時代だそうです。

各家族化が進み働く女性が増えた結果、2010年国民生活基礎調査によると主な介護者(同居)の場合、息子の嫁(16.1%) 男性(31.3%)で、男性の介護が急増しているという。そして介護をしていて最も虐待が多いのは息子が親を見ているケースだという。

■ 介護離職(男性)
年間2万5,600人(06年10月~07年9月) ※ 特に働き盛りの介護離職が増えている。

shadow 私にも、介護は突然やってきた。
どこかで介護の問題はぼんやり頭の隅にあったけど、元気な父の姿には予想外。

75歳の父はバイトを週に4回ほどしながら、ダンスや温泉旅行をエネルギッシュに楽しんでいた。 それも昨年末まで。
なのに、ガンと告知されて抗がん剤治療を2度(2度目はかなりの量を投与)受けたら、
ほどなくして急変・悪化し、入院。

その入院が1ヶ月間になり、その間に10キロも痩せて、体力も落ちて骨と皮。
歩くのも困難になり、余命10月と言われて、現在自宅介護。
今はオムツで、食事以外はほとんど寝たきり状態。
ほんの10ヶ月前までは元気に動きまわっていたのに、要介護2へと生活が激変。

もしも私が結婚していたり、仕事していたら、どうしていただろう。
40代後半で仕事を辞めざるを得ないのは、その後の人生も大きく変わる。
私はまだまだ楽な介護だけど、いろんな現実を知ると、非常に厳しいと感じました。

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2012年9月22日 (土)

自分の冷たさ、どうしてこんな人間なんだろうと自分が嫌になる。

朝早く、父は自分でケアマネージャーさんに電話をして、「トイレがひとりで難しい・・・」と電話を入れたらしく、朝一で看護師さんとケアマネさんがオムツを持ってきてくれた。

そんな中、昨夜、私は夢を見た。

どこか安全に通れる道を探しているかのような雰囲気から始まり・・・
やっとの思いで出ると、そこにはヨコに伸びる大きな幅の橋がありました。
でも、台風の影響で空は薄暗く、風が荒れ狂った跡と、橋は茶色い泥水で浸水。
その橋を渡ろうとするんだけれど、どんどん水かさは増えてきているようで、
橋の中央付近は、(渡っている人を見ると)胸の辺りまで水が来ている。
私も足場を探りながら何とか渡ろうと踏み出すが、いきなり深くなって、
怖くて「渡るのは無理だ・・・溺れ死ぬ・・・」と感じ、結局、私はその橋を渡るのを諦めた。 ・・・・・・そこで、目が覚めた。 そういう夢だった。

遡ると・・・、
maple 6月に父親が緊急入院して以降、退院できると思わなかった私は「秋には仕事を本格的に探して・・・」と考えていた。が・・・、「家に帰してあげるなら今しかない。10月までだと思う」と主治医に言われて、夏に父は退院した。
そして要介護2の認定を受けて、介護ベッドやシャワー椅子、車椅子、週2回の看護師さんによる訪問看護にも来てもらうことになった。

当初は自分の身の回りがまだ割りと出来ていたのでそれほど手がかからなかったが、
だんだんと出来なくなってくるようになり・・・同時に、自分も仕事をしないで家にいる日々が長くなっていたため、悶々とする日々でストレスが溜まってきていた。
そして、だんだん失業手当が切れる日が目の前に迫ってきて、焦っていた。

仕事を探したいのに、探せない・・・
でも、探さないと・・!早くしないと!!(今だって難しいのに)、就職できなくなる。。。
お金が途絶えるので、生活が不安でたまらない。。。
なのに、介護・・・。
介護をしなければならないという現実と失業手当が切れることの不安と焦り。
転職活動しなきゃ!!・・・いや、介護。。。でも、転職活動しなきゃ!!!・・・でも、できない。。。と、葛藤する毎日が続いた。

そこへ、オムツが必要になるという状況の変化。。。

ケアサービスの人には「今は仕事をする時じゃない。介護に専念してあげて」と言われ・・・。
弟には(互いに状況や気持ちを確認して介護をしていけるようにしたい)と思って声をかけても、「それは後でいいょ・・・」とか、「俺はおれでやるから」等々・・・言われて孤独に・・・。

そんな状況の中・・・

毎日家にいて、看護師さんやら医師、薬屋さん、叔父さん、介護福祉士さん、親戚、病院、宅配等々・・・

いろんな人たちとの対応は、救われた面もあったけど、疲れるのだ。。。
昨日は、ケアサービスの人で(最期まで自宅で看取ることを強く進める人)から、「下の世話(オムツ)も、自分の親なんだからできるはずだから、やってあげて。頑張って!」と言われ続け。。。
その後だった。 寝る時間でもないのに疲労感で何もしたくなくなってベッドで寝込んだ。 そして、夜になって再びベッドに入ってからだった。

突然、すべてが嫌になった。

そんなに長期間きつい介護もしていないのに、まだ全然楽な介護だったのに、
それほど自分は介護をしている訳でもないのに、弟もけっこう協力してくれているのに・・・

いろんな人との対応が、もうすべて嫌になり、誰とも話したくなくなった。疲れた。
(・・・失踪でもしてしまいたい・・・、 とくかく誰とも話したくない・・・。 独りになりたい。)

一気にズシンと落ちて、そんな気持ちが頭の中でぐるぐる繰り返された。
・・・いつの間にか眠ったが、夢の中まで続いていて、「浸水した橋を渡れず引き返した」という夢を見たという訳でした。
そして、今朝はそんな重い気持ちでベッドで寝ていたら、朝一のオムツ事件。


正直、介護というものは、「イライラせずに、いつでも優しく接して、希望通りに」・・・というのは、難しいものですね。。。
出来たら良いけど、できないこともある。自宅で看取れたら一番いいけど、どこまで希望に添えるかは本当にわからない。
そして何よりも、自分が倒れたら誰も面倒見てくれる人はいないし、それこそ弟に迷惑かかる。自分が駄目になることだけは絶対に何としても守らないとならないと思った。

だから、来ていた看護師さんと介護福祉士さんに自分の状況を話して、オムツ交換は私は無理だと伝えた。
でも「ヘルパーさんにオムツ交換してもらって自宅で看るか、病院へ行くかどちらかを今決めないと駄目だから・・・」と言われ、
ヘルパーさんにオムツ交換を助けてもらうことができれば・・・、人とのやり取りや出入りは何とかなるかもしれないと感じて、自宅介護で様子を見ることになった。

その後、さっそく入ってくれたヘルパーさんや先日の看護師さんには、「無理して自宅で看なくていいんだからね。出来ないことはできないって言っていいょ。やった人じゃないとわからないから。。。」等、いろいろ話しているうちに、だんだん気持ちも楽になって落ち着いてきた。ヘルパーさんの存在、そして話を訊いてくれたことが精神的にも大きな助けになりました。

今後はどんな速さで、どのように状態が悪化していくかわからないのですが、
ひとまず1日3回(以前より私の自宅拘束&来客対応は増えるのですが)ヘルパーさんの力を借りることで、この段階は乗り越えて行けそうです。
親孝行をあまりしてあげられていないから・・・家に居させてあげらることは私にとっても大きい事です。できるだけガンバって行けたらいいかな。。。まだ不安だけど。。。

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2012年9月19日 (水)

これからが正念場だと思う・・・と言われる

今から思うと、父は温泉旅行から帰ってきてから、何となく・・・
・・・それを境に、ガクンとdown、気持ちが落ちたような感じがした。
同時に、それからどんどん体調が目に見えて変わったように思う。

そんな時でした。 先日訪問看護師さんが来たときに、

「○○さん、何かやりたい事とか目標とか持ってますか?」と看護師さん。

父 「ありません。」

「何も? また温泉に行くとか。。ダンスができるようになるとか・・・。」

父 「ありません。 もう、旅行は行けないし、ダンスも無理。」 とキッパリ。

「んー、そうかぁ。。」

父 「・・・身体が駄目。」

「○○さん、旅行行ってから急に元気がなくなっちゃった感じがするんだけど、どう?
目や表情に元気(覇気)がないなぁって、ちょっと思ったりするんだけど・・・」

父 「・・・・・」

「・・・何でもいいから、何か目標とかある方がいいんじゃないかなぁ?
何もないと、だんだん鬱っぽくなって気分が余計に落ち込んできちゃうから。。。」

等々、そんな会話のやり取りを訊いていました。

私も経験したことある・・・down
やりたい事や目標などが全く持てなくなってくると、だんだん鬱っぽくなってくるんですよね。。。。そして気持ちがどんどん閉ざしてくるようになると、ある日(自分で気付くのはまだマシ?なのかもしれないが)無気力、無感動など・・・、うつ状態に陥っていっている。

なのに、人にはつい、がんばって・・・という言葉を投げてしまう。。。
けど、そんな簡単じゃぁ無いんだよね。。。
自分だって、そう。
がんを持っていると、痛みは「転移」や「死」という不安や恐怖で襲ってくるし、
特に痛みは、何とか持ちこたえようとする小さな「気力」さえも奪い取って、絶望感を残していったりする。。。

・・・そんな事を思い出しながら、看護師さんの言うことに思い当たる父の変化に「やっぱりそうか・・・」と思った。

旅行前の2週間くらい前から痛みや吐くことが多くて、旅行前に緊急で病院へ行った際も、入院を進められながらも、「大丈夫です。」と言って入院しなかったのは、
きっと、何としても旅行に行くんだ!という強い気持ちがあって断ったんだろうと思った。
その証拠に、「お父さんは、この旅行に懸けているんだ」と言っていた。

その言葉が語っているように、一気に・・・というくらいに旅行後から変わってしまったことが色々ありました。

■旅行後~2週間
・気力をなくしていき、テレビやラジオも聴かなくなる。
・体重減少(▲1、2キロ)&声を出す力も落ちて、話すことをしなくなる。
・葬儀のことや今後のことを言い出した。
・食事以外はほとんど寝ている状態&表情がなくなる。(この頃から痛み止めが強い貼り薬に変わる)

■2週間~4週間目
特に目に覇気がなく死んだように表情のない寂しい眼になってしまった。
体力も、激変というくらいに一気に落ちる。
テレビもみたがらず、面白いテレビを見ても全く笑わないし、その顔は無表情で暗い。
そして、
今まで何とかできていた入浴もシャワーも一人では出来なくなり・・・
外出もしたがらなくなり・・・、欠かさず飲んでいた薬草も飲まなくなったり・・・
右腕、(3ヶ月前から右腕が肩の高さまでしか上がらなくなっていたが)と、
右手が殆んど動かせなくなり・・・トイレに行くにも、一人では困難になってきたと言い、
ここ最近はガクッと力が抜けて転んだり、階段も上がれなくなった。

・・・・・旅行後、1ヶ月でこんなに急激に変わってしまった。
(本当に心(気)と病は相互に作用しているんだ・・・と感じる。)

そして、看護師さんに言われたのです。

「これからが本当に正念場になってくると思う。
いずれ下の世話をしなければならなくなってくると思うけど、
それを、どこまで出来るか・・・、家族でよく話し合ってみてくださいね。」と言われる。

正直・・・、母親なら同性だから下の世話もシャワーもまだ抵抗なく出来ると思うけど、、、2度ほど手伝ったシャワーで感じたことは、見ないように介助していたが、
やっぱり異性であり、しかも父である人の介助は、かなり精神的に抵抗とストレスを感じた。

(私には無理・・・。 今は考えられない。。。)
(申し訳ないけれど、無理。。。) そう思ってしまった。

でも、看護師さんは、「私の父の時もそうだったけど、私も他の人に頼んだから。。。
やっぱり異性は抵抗あるもんね。。。他人だと割り切れるんだけどね。。。」と、
優しく言ってくれて、正直気持ちが助かった。。。

(私は母親の闘病と最期のときは結婚して離れていたので、介護や最期に全面的に付きっきりで向き合うのはこれが初めてなのですが・・・。)
今後は、ケアマネさんの人と相談してどんな介助ができそうか・・・、
これからがいろんな意味で、本当に厳しい正念場になりそうだと感じたのですが、
・・・どうも父の衰弱してやせ細った姿や、覇気も希望もなくした眼と顔の表情を見ると、
がんで弱ってきているというよりも、本人の気力、気持ちそのものの絶望感が強く感じるというか・・・、漂っているような感じがして、そういう眼や姿を見るのがとても哀しくて重い。。。

だから、自分も気持ちがズーンと重くなって気が滅入ったり、食欲落ちたり、おいしく食べられなかったり。。。
本人がいちばん辛いのはわかっているけど、胃が重く感じたり、無気力気味になるときがあったりする。。。

でも自分まで精神的に駄目になったら本当に大変なことになると思うし・・・。
だから、旅ブログを書いたり・・・ちょっと外出して美味しいものを食べたり・・・、
好きな海外ドラマをみたり・・・。そんな事をしてみようという気持ちになれた時は、
出来るだけやって、心を軽くしながら向き合っていけたら・・・と思っている。

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2012年9月 6日 (木)

グリーンスムージーを父に飲まてみたら・・・

最近流行っているグリーンスムージー。

野菜やフルーツを一度に楽に摂れるなんて、いいかも!?と思い、
この前、ブレンダーを購入。

最初は自分のために購入したものでしたが・・・、
ガンの父が食べられる1日の食事量は、現在、豆腐のトレー1個分あるか?
無いか?という僅かな量になってきてしまっている。

食事も水分もほとんど摂れなくなってきていて、食欲もあまりない。
しかも、ときどき食べた直後に全部吐いてしまうこともある。

そのせいか?旅行後1ヶ月で2キロも激減。
筋肉も脂肪もほとんど無くなり、骨と皮だけの身体になって、ガリガリ。
トイレは何とか自分で行くが、数メートル歩くのが精一杯の様子。

何とか食べさせたいと思って、グリーンスムージーを飲ませてみることに。

今日の材料は・・・
小松菜、パセリ、ニンジン、りんご、梨

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けっこうな量ですが、出来上がりは450mlくらいかな?
パセリの味がけっこう強かったけれど、梨の甘みで美味しくできました。

スムージーにする前の材料をそのまま父に食べさせようとすると、
りんご1、2切れを食べるのがやっと、という状況なのですが、
スムージーにしたら、父は約200mlも飲めました!

これはいいかもsign01
消化にも良いし量も栄養も摂れるので、毎日いろんな材料で作っていこうと思います。

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2012年8月21日 (火)

親戚が送ってくれた薬草

以前、この記事をアップしたところ、そのせいかどうか?わかりませんが、
大量に買っていく人が急に増えて品切れになっているということで・・・
もしやこの記事が原因か??と思ってこの記事は下書きに戻していました。
その後周辺で作る人も増えたようなので、下書きから戻しました。

またこの薬草については以前に下記内容を書いてはいますが、あくまで私がいとこから聞いた話であって、「ガンに良いらしい」という文言及び私自身がネット検索して添付した薬草に関する情報も、根拠は全くわかりません。

ただここで記事として載せているのは、何か良い効果が少しでもあれば・・・という希望と、個人で作っていて他より良心的な値段なので写真だけ載せています。
ですが、根拠もなく保証できる訳でもないので、これを積極的にお薦めする事も、宣伝するものでもないので、詳しいことは載せていません。
あくまで「希望」を送ってくれた物であって、私は「まぁ飲んで何か変化があればいいな」くらいな気持ちで、現在はたまに飲んでいる状況です。
たまに・・・というのは、これが、かなり苦くて飲みにくい為、毎日飲む気になりません。まぁ、青汁の一種のようものだと思っているくらいです。

もし購入される場合は、そのような事をご理解・ご了承された上で、個人の責任でご利用をして頂ければと思います。また薬草なので、体質に合わない方もいるかと思います。(2014年6月)

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※いとこが、知り合いの看護師さんから?「ガンに良いらしい」と訊いた薬草を、
父のために送ってくれました。

ヒキオコシ(延命草)と言われるシソ科の植物だそうで、今ブーム(九州で?)だとか。

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父は1日3回。(耳かき棒で、山盛り1杯が約1回分)
私もこれを試してみることにした。
すごく苦いと言われたが、水を含んだあとにヒキオコシの粉末を入れて飲み込むと、苦味も何も感じることなく飲める。

極々微量の粉末をちょっと舐めてみたら、最初は抹茶風味を感じたあとに苦味が強くきたので、耳かき1杯分だと苦味はかなり強そうです。

※ ヒキオコシの若葉と花

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イー薬草・ドット・コムより http://www.e-yakusou.com/yakusou/741.htm

【和名(ヒキオコシ)の名前の由来】
その昔、弘法大師が山道を歩いていると、一人の行者が倒れており、
それを見た弘法大師はすぐに近くにある草をしぼり、その汁を、倒れている行者の口に含ませたところ、その行者はたちどころに元気をとりもどして旅を続けることができた。それから、病人を「ひき起こす」という意味で、ヒキオコシと呼ばれたといいます。

この故事によって、ヒキオコシや延命草(えんめいそう)という名前がついたとされているそうです。
また、小豆島のある寺院では、数百年の昔から、ヒキオコシを栽培して、全草(ぜんそう)のエキスで作った薬を腹痛や胃痛、食あたりなどの治療に用いていたということです。

【薬効・用い方】
延命草(えんめいそう)は、健胃(けんい)薬として胃の調子がよくないとか、軽い痛みを感じるような時、また食欲がないときなどに1日量として、延命草10グラムを煎じて飲むか、粉末を1日2グラム、オブラートなどに包まずそのまま服用。
ヒキオコシは、家庭薬にも多く配合されていて、消化不良、食欲不振、腹痛などに用いられている。

ヒキオコシの科学成分は研究の結果、数多くのジテルペンと呼ばれる一群の化合物が含まれていることが明らかにされています。
また、抗がん作用のある成分も含まれていることがわかっています。

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※根拠のほどはわかりませんが、こんなサイトを見つけたので載せました。

医薬福ニュース2008年2月の記事より http://d.hatena.ne.jp/procare/20080202

薬効植物の苦味は研究者の注目するところであるが、
延命草の苦味成分はテルペン系のエンメイン、プレクトランチン、オリドニンなどで、
いずれも薬理試験で抗菌作用と抗腫瘍作用が認められているが、新井正(千葉大学)がエンメインに制ガン作用があることを認めた動物実験を発表し、高い関心を持って迎えられたことは記憶に新しい。

また富士薫(京都大学化学研究所)は、クロバナヒキオコシの苦味成分を分離して腹水ガンのネズミを用いて制ガン作用を確認、その成分がトリコラブダールであることを発表している。

中国では、中国科学院昆明植物研究所で同属の冬凌草を用いた研究がなされ、そこでも制ガン作用を認めているが、京都大学の実験結果はそれよりもさらに高い効果を示したということである。

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