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2013年11月の3件の記事

2013年11月 6日 (水)

昭和30年代にもあった。

父のアルバムに1通の茶封筒が挿まれていた。
差出人は父が自衛隊にいた頃の、一等陸尉から実家宛てに届いた手紙だった。

父が元気に過ごしているという様子がしたためられたあと、
「最近自衛隊の畄守宅を狙う詐欺事件が相次いで各地に発生しております。・・・・今迄発生した事件で犯人は次のようなことを言っております。」とあり、

一、お宅の息子さんと同僚で親しく付き合っておるものです。

二、お宅の息子さんが交通事故で他人に怪我をさせた。その医療費を払わなければ警察で調べられる。

三、お宅の息子さんは汽車の中でけんかして窓ガラスを壊した。その代金を弁償しないと警察沙汰になる。

四、お宅の息子さんが旅行するのでその旅費と小使を貰って来てくれと頼まれた。

五、お宅の息子さんが洋服をつくったが、その代金を支払わない。

このままだと警察沙汰になる等の詐言を言って自衛隊員になったり、鉄道員になったり服屋になったり、種々様々の人になって各家庭を訪問し金品を取っております。
このような者が訪問したときは、先ず中隊に照会して確認しない限り絶対に金や品物を渡さぬようにして下さい。

・・・どこかで聞いたことあるようなセリフ?
現代のオレオレ詐欺みたい。 この時代にもいろいろあったんだなぁ。

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昔の写真の中に、昭和34年の弘前駅の写真があった。
ベレー帽はたぶん、父の兄。

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そして そして、弘前の親戚と思われる写真があった。

Photo_12

写真に写っている看板をよーく見てみると、「医大前 洋々軒」と書いてある。

中華そば 40円 
焼きそば 50円

昭和の30年代の値段
提灯の上には「100円で飲み喰い」とも書かれている。

この方は祖父の兄弟の奥さんだろうか??
詳しいことはわからないけど、弘前にいたという親戚に間違いない。
そして、この様子だと、食堂を営んでいたようだ。

ネットで、医大前、洋々軒で検索してみたが、見つからなかった。
当たり前か、、、これは昭和33年頃の写真のようだし。
今存在していたなら、ぜひ訪ねてみたかった。

このお店があった場所は今どうなっているのか?
それだけでも確認できたら嬉しいのだけれど・・・。
ここがあった場所がわからない。

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2013年11月 5日 (火)

父が遺してくれた家族のアルバム

父の一周忌も過ぎましたが、ほぼ毎日父のことを想わない日はなく・・・
ときどき、父へのいろんな後悔を感じて、辛さと悲しみに暮れています。

そんな中、父の撮った写真を整理をしようと思いました。
分かってはいたけれど、父の遺した写真は膨大な量でした。
父と母の独身時代の頃から、家族になってからの写真、私たち子どもの写真、
親族との毎年の旅行写真等々・・・
父や母がそれぞれどんな風に生きてきて、その後結婚し、
私たち子どもが産まれ、家族となってからどんな様子で生活していたのか・・・
そんな家族の歴史が辿れる写真でした。

特に印象的だったのは、私に渡そうと思って?作っていたみたいなアルバム。
産まれたときの写真から始まり、日常の写真も含めつつ、幼稚園、小学校、中学校・・・(高校生以降は写真を撮るような機会も殆どなかった為、写真がなかったが)
最後のページには、父と母の独身の頃と結婚したときの写真が貼ってあった。

これを見たとき(他の写真もだけれど)、自分はこんなに愛されていたんだなぁと感慨深い気持ちでした。
そして父や母の若い頃の写真には、親ではない父と母の青春時代や社会の様子を少しですが見る事ができて、こんな時代があったんだなぁーと、時代や郷愁を感じることができて、楽しくもあり、大事に遺していきたい宝物だと感じました。

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少しだけ思い出を・・・。
昔の写真は白黒で、大きさも色々あって、今の写真よりずっと魅力的に見えた。

【父は陸上自衛隊〇〇駐とん部隊にいた事がある】
かまえている銃は、“ヒザ射ちカービン銃”だと書かれていた。

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【市内での花祭りには自衛隊も仮装行列して参加することもあったようだ】

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【24歳くらいのときの父。(海は若い頃から好きだったようだ)】
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写真にはコメントが書いてあるものが多いので、その頃の様子や気持ちが感じられて、思わず微笑んでしまう。

父は写真をアルバムに貼るとき、けっこう凝っていて、斜めに貼ったりという感じなのだが、
それを見たときに(教わった訳でもないのに)私自身が何かを貼るときの貼り方(斜めにしたり)やコメントの雰囲気が、父とそっくりだったという事を、これを見て知り、驚いた。
こういうのって、遺伝子だなぁと思わずにいられない。

また父の写真は、良い構図(ポーズ?)で撮れていて、自分でもカッコいいと思っていたみたい。(笑) 
・・・私が言うのも変ですが、若い頃の父はカッコイイ。
そして父の兄は、もっとカッコいい。

父の母の弟が出兵するときの貴重な写真が遺っていた。
【皆、若くして戦争にいった時代】 万歳をしていても、誰ひとりとして笑顔はない。
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【母の実家が八百屋を開店した当時の貴重な一枚】

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【母の姉妹は皆、舞踊を習わされていたようだ】

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私自身は今まで人物の写真には興味がなく、ほとんど撮らなかったが、
父の撮った写真は人物を写したものがほとんどだった。

亡くなってしまった今、父の遺したたくさんの日常が写った写真を見ることができて、
本当に何より幸せな贈り物だと思った。
私もこれからは、自分や家族、友人との写真を、何気ない日常の中でたくさん写真に撮って生きた証し(というのは大げさかもしれないけど)残しておきたいと思いました。
そして、お気に入りの写真は押し入れなどに仕舞っておかずに飾る。

昔ある人が言ってたことで、写真をいっぱい撮る家族は離婚しないって。
まぁそれはどうかはわかりませんが、
人物を写真に遺すという事は、大切にしたいという表現のひとつなのでしょうね。

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2013年11月 4日 (月)

広めよう!コンクリートより、森の防潮堤!

「森の防潮堤むコンクリート信仰」 ※東京新聞「こちら特報部」記事より、一部抜粋

東日本大震災の被災地沿岸部、植樹して森をつくる「森の防潮堤」構想。
震災後に提唱され、巨大なコンクリートの防潮堤に代わる役割が期待されたが、思うように進んでいないという。
そこには役所の「コンクリート信仰」が立ちはだかっているという。

「20㎝ぐらいだった苗が、植樹から1年で1メートルを超えた。
将来、カキや栗の木も植えて、みんなが楽しめて、守りたくなるような森をつくりたい。」
NPO法人「海べの森をつくろう会」の菅原信治理事長は希望を語る。

松島町では松島湾に浮かぶ名勝の島々によて、津波の勢いが弱められ、被害が比較的小さくて済んだという。
菅原さんらは、この話を聞いて、陸地に島のような森をつくり津波の被害を防ぐことを思いついた。
波路上地区では津波が来襲したとき、高さ20メートル近いケヤキに、12人がしがみついて生き残ることができた。
「コンクリートの防潮堤は決壊し、命を救ったのは1本のケヤキだった。

木は、いつか津波が来たとき、命を助けてくれる。子孫に財産を残されければ」

「大事なのは自然の力だ。コンクリートの防潮堤は、森から海に栄養分を運ぶ地下水を遮断し、海を腐らせる」と憂う。
東日本大震災でも、福島県いわき市で、森によって約7メートルの津波の被害を食い止めたことが、林野庁の報告書に掲載されている。

震災直後、従来のコンクリート造りの防潮堤の代わりに震災がれきで造った盛り土に植樹する「森の防潮堤」構想を提唱した宮脇昭・横浜国立大名誉教授は、「強靭な国土を造るのは、コンクリートや鉄ではない。コンクリートの耐久性は100年ももたないが、森は孫の代を超え、次の氷河期が来るまで持続できる」と主張する。

「森の防潮堤」の強みは、津波の水位と速度を落とし、避難する時間を稼げる。
人が引き水に飲み込まれても、樹木で食い止めることもできる。
広葉樹は根が深くて折れにくく、維持管理にも手間がかからない。

宮脇さんらの呼び掛けに、各地のNPOなどが動き、これまでに少なくとも岩手、宮城、福島の三県七市町で8万5千本以上が植樹された。
だが、「森の防潮堤」構想は、一気に広まっているとは言い難い。
国や自治体が、「コンクリート信仰」を捨てず、従来のコンクリート造りの防潮堤建設にまい進しているからだ。

国土交通省によると、震災前、青森から千葉県にかけて、総延長382キロの防潮堤があった。うち、震災で297キロが破壊された。
計画ではそのすべてを復旧させた上で、新設もする。
総事業費は5,000億円を超えるとみられる。

宮脇名誉教授は「地元自治体に理解があっても、国交省は、植樹に金を出そうとしない。減災効果が少ない松を植えようとする」とあきれる。
海岸の管轄主体が場所によって、国交省、農林水産省などに分かれていることも一因だ。
宮脇名誉教授は「まず森づくりを前提にして、足りない部分はコンクリートで補うという考え方に、改めるべきだ」と話す。

「いのちを守る森の防潮堤」推進東北協議会会長で、輪王寺(仙台市)の日置道隆住職は「人間はこれまで豊な自然を壊して生きてきた。その過ちを繰り返そうとしている」と懸念する。

存在の一つ一つが、常につながっているという仏教の縁起思想を踏まえ、こう唱える。
「海と陸はつながり、生きている。
それをコンクリートで遮断すると、短期では利益があるかもしれないが、長期でみれば、海も陸も死んでしまうことになる」

shadow 海や川などへ行ったとき、人工的なものやコンクリートを見ると、
いつも幻滅し、どうしてこんな自然と調和しない汚いものしか造れないのか!?と、
つまらなさと魅力も何も感じられない壊された姿にとても悲しく、ガッカリします。

自然のままの姿の場所や、自然を考えられて造られたところは、とても気持ちがよく、
癒しさえも感じられて、本当に感動するけど、そういった「感性」は失ったら駄目だと思う。ダムも同じ。
ダムは洪水を防ぐなどと言うけれど、その逆だと言われています。
自然の災害から守ってくれるのは、同じ自然であって、コンクリートではないのだと思います。

◆いのちを守る森の防潮堤 http://morinobouchoutei.com/
◆海べの森をつくろう会 http://morino.siokaze.net/

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