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2012年9月の7件の記事

2012年9月27日 (木)

40代からの息子介護が増えているらしい

少し前に 「TXNザ・ドキュメンタリー いま助けてほしい -息子介護の時代- 」 というのを放送していました。

冒頭からかなり衝撃的な内容に、正直、こんなときに見て重い気分になりましたが、
厳しい介護の実態に、他人事ではないなぁ(独身の弟が要介護になったら? 自分が要介護になったらどうする?!・・・)と、備えのない自分は恐ろしくなりました。

番組は、フリーライター(当時52歳)野田さん親子の介護の様子から始まりました。

●野田さんは75歳でアルツハイマーになった寝たりきの母親(当時81歳)の介護を始めてもう10年。一人で介護をされています。
その介護生活で仕事もほとんど出来ず、母親の年金で生活されているということでした。

とても優しい顔で細かい介護をされている野田さんですが、 かつて「お酒を飲んで介護していたとき、何かの瞬間にイライラしてきて手が1回出たら止まらなくって、母親を平手で叩いて肋骨を折ってしまった」という。
それ以来、一年間禁酒。 今は1日ミニ缶のビール一杯と決めているという。

野田さん: 「でもなぁ、やっぱり、(介護を)やってないもんじゃないと、気持ちはわかんないっていうところが皆あるんだよな。」

そんな野田さんの部屋には一枚の紙が貼ってある。
pencil 「出来ないことは押し付けない! 抱きしめる!」

野田さん: 「開き直らないと息子は介護できないと思うよ。(オムツ交換で)
ん~、・・・・母親の性○を見るのは、ちょっと勇気がいると思うよ。」

・・・・・・・(それは、介護を始めた私には衝撃的な言葉でした。)

野田さんのブログより ~

“ 「もう、ワシを解放してくれえ、ホンマ」 
和ちゃん(母)は泣き始めた。  オレは、発狂しそうになる。”
“ 「自由がもう一度欲しくてしかたがない」 無理を承知で書いている。”

※ 野田さんは「野田明宏ネット」というHPで母親の介護生活を日々公開されています。(野田さんのお母様は番組の収録中に天国へ旅立たれました。)

http://www.noda-akihiro.net/index.html

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● 認知症になった父親を1人で介護する息子さん。(確か50代初めだったかと)

介護に追われ、仕事は辞めざるを得なくなってしまった。
認知症の父親は徘徊したり、家の壁を物で壊したり、息子の腕に噛みついたり。
ちょっと目を離すと、タバコの吸殻を飲み物と間違えて飲もうとする。

毎日大量の洗濯物など、休みなく動き回る日々。
せめて月に1回数日間だけでもショートステイを頼みたいが、「楽な状態の人」しか受け入れてくれないという。(目の離せない人だとその人に1人が付きっ切りで居なければならない為)。

その息子さんが言う。
「サポート態勢がない、今がきつい。いま助けてほしい。
お題目とかきれい事はいいから、いま助けてくれよと。」

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● 脳梗塞で倒れ寝たきりの母親の介護に疲れ、殺めてしまった息子さん。(50代)

その息子さんは、寝たきりの母親を喜ばせるために、壁一面に絵を書いていました。
きれいな色で書かれた花火や富士山、そしてお花畑。
そして、毎日びっしり母親の様子をとても細かくノートに書いていました。
(愛情を持って付きっ切りで介護されていた息子さんの様子がわかります。)

最後は母親の痰を取るために、10分おきに吸引。
昼夜問わず、10分おきの吸引。でないと死んでしまうからだと言う。
「眠い、本当にゆっくり眠りたい。」
当初一年だと言われた介護は丸8年。 そして殺めてしまった息子さん。
しかし、長期に渡る献身的な介護を見ていた近所の人たちが嘆願書を提出。

息子さん: 「絶対早まったことをやったら駄目だ。 一生苦しむよ、本当に苦しいから。
介護をしてるのも苦しいかもしれないけど、それ以上の苦しさになっちゃう。」

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今、介護する人の1/3が息子という時代だそうです。

各家族化が進み働く女性が増えた結果、2010年国民生活基礎調査によると主な介護者(同居)の場合、息子の嫁(16.1%) 男性(31.3%)で、男性の介護が急増しているという。そして介護をしていて最も虐待が多いのは息子が親を見ているケースだという。

■ 介護離職(男性)
年間2万5,600人(06年10月~07年9月) ※ 特に働き盛りの介護離職が増えている。

shadow 私にも、介護は突然やってきた。
どこかで介護の問題はぼんやり頭の隅にあったけど、元気な父の姿には予想外。

75歳の父はバイトを週に4回ほどしながら、ダンスや温泉旅行をエネルギッシュに楽しんでいた。 それも昨年末まで。
なのに、ガンと告知されて抗がん剤治療を2度(2度目はかなりの量を投与)受けたら、
ほどなくして急変・悪化し、入院。

その入院が1ヶ月間になり、その間に10キロも痩せて、体力も落ちて骨と皮。
歩くのも困難になり、余命10月と言われて、現在自宅介護。
今はオムツで、食事以外はほとんど寝たきり状態。
ほんの10ヶ月前までは元気に動きまわっていたのに、要介護2へと生活が激変。

もしも私が結婚していたり、仕事していたら、どうしていただろう。
40代後半で仕事を辞めざるを得ないのは、その後の人生も大きく変わる。
私はまだまだ楽な介護だけど、いろんな現実を知ると、非常に厳しいと感じました。

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2012年9月22日 (土)

自分の冷たさ、どうしてこんな人間なんだろうと自分が嫌になる。

朝早く、父は自分でケアマネージャーさんに電話をして、「トイレがひとりで難しい・・・」と電話を入れたらしく、朝一で看護師さんとケアマネさんがオムツを持ってきてくれた。

そんな中、昨夜、私は夢を見た。

どこか安全に通れる道を探しているかのような雰囲気から始まり・・・
やっとの思いで出ると、そこにはヨコに伸びる大きな幅の橋がありました。
でも、台風の影響で空は薄暗く、風が荒れ狂った跡と、橋は茶色い泥水で浸水。
その橋を渡ろうとするんだけれど、どんどん水かさは増えてきているようで、
橋の中央付近は、(渡っている人を見ると)胸の辺りまで水が来ている。
私も足場を探りながら何とか渡ろうと踏み出すが、いきなり深くなって、
怖くて「渡るのは無理だ・・・溺れ死ぬ・・・」と感じ、結局、私はその橋を渡るのを諦めた。 ・・・・・・そこで、目が覚めた。 そういう夢だった。

遡ると・・・、
maple 6月に父親が緊急入院して以降、退院できると思わなかった私は「秋には仕事を本格的に探して・・・」と考えていた。が・・・、「家に帰してあげるなら今しかない。10月までだと思う」と主治医に言われて、夏に父は退院した。
そして要介護2の認定を受けて、介護ベッドやシャワー椅子、車椅子、週2回の看護師さんによる訪問看護にも来てもらうことになった。

当初は自分の身の回りがまだ割りと出来ていたのでそれほど手がかからなかったが、
だんだんと出来なくなってくるようになり・・・同時に、自分も仕事をしないで家にいる日々が長くなっていたため、悶々とする日々でストレスが溜まってきていた。
そして、だんだん失業手当が切れる日が目の前に迫ってきて、焦っていた。

仕事を探したいのに、探せない・・・
でも、探さないと・・!早くしないと!!(今だって難しいのに)、就職できなくなる。。。
お金が途絶えるので、生活が不安でたまらない。。。
なのに、介護・・・。
介護をしなければならないという現実と失業手当が切れることの不安と焦り。
転職活動しなきゃ!!・・・いや、介護。。。でも、転職活動しなきゃ!!!・・・でも、できない。。。と、葛藤する毎日が続いた。

そこへ、オムツが必要になるという状況の変化。。。

ケアサービスの人には「今は仕事をする時じゃない。介護に専念してあげて」と言われ・・・。
弟には(互いに状況や気持ちを確認して介護をしていけるようにしたい)と思って声をかけても、「それは後でいいょ・・・」とか、「俺はおれでやるから」等々・・・言われて孤独に・・・。

そんな状況の中・・・

毎日家にいて、看護師さんやら医師、薬屋さん、叔父さん、介護福祉士さん、親戚、病院、宅配等々・・・

いろんな人たちとの対応は、救われた面もあったけど、疲れるのだ。。。
昨日は、ケアサービスの人で(最期まで自宅で看取ることを強く進める人)から、「下の世話(オムツ)も、自分の親なんだからできるはずだから、やってあげて。頑張って!」と言われ続け。。。
その後だった。 寝る時間でもないのに疲労感で何もしたくなくなってベッドで寝込んだ。 そして、夜になって再びベッドに入ってからだった。

突然、すべてが嫌になった。

そんなに長期間きつい介護もしていないのに、まだ全然楽な介護だったのに、
それほど自分は介護をしている訳でもないのに、弟もけっこう協力してくれているのに・・・

いろんな人との対応が、もうすべて嫌になり、誰とも話したくなくなった。疲れた。
(・・・失踪でもしてしまいたい・・・、 とくかく誰とも話したくない・・・。 独りになりたい。)

一気にズシンと落ちて、そんな気持ちが頭の中でぐるぐる繰り返された。
・・・いつの間にか眠ったが、夢の中まで続いていて、「浸水した橋を渡れず引き返した」という夢を見たという訳でした。
そして、今朝はそんな重い気持ちでベッドで寝ていたら、朝一のオムツ事件。


正直、介護というものは、「イライラせずに、いつでも優しく接して、希望通りに」・・・というのは、難しいものですね。。。
出来たら良いけど、できないこともある。自宅で看取れたら一番いいけど、どこまで希望に添えるかは本当にわからない。
そして何よりも、自分が倒れたら誰も面倒見てくれる人はいないし、それこそ弟に迷惑かかる。自分が駄目になることだけは絶対に何としても守らないとならないと思った。

だから、来ていた看護師さんと介護福祉士さんに自分の状況を話して、オムツ交換は私は無理だと伝えた。
でも「ヘルパーさんにオムツ交換してもらって自宅で看るか、病院へ行くかどちらかを今決めないと駄目だから・・・」と言われ、
ヘルパーさんにオムツ交換を助けてもらうことができれば・・・、人とのやり取りや出入りは何とかなるかもしれないと感じて、自宅介護で様子を見ることになった。

その後、さっそく入ってくれたヘルパーさんや先日の看護師さんには、「無理して自宅で看なくていいんだからね。出来ないことはできないって言っていいょ。やった人じゃないとわからないから。。。」等、いろいろ話しているうちに、だんだん気持ちも楽になって落ち着いてきた。ヘルパーさんの存在、そして話を訊いてくれたことが精神的にも大きな助けになりました。

今後はどんな速さで、どのように状態が悪化していくかわからないのですが、
ひとまず1日3回(以前より私の自宅拘束&来客対応は増えるのですが)ヘルパーさんの力を借りることで、この段階は乗り越えて行けそうです。
親孝行をあまりしてあげられていないから・・・家に居させてあげらることは私にとっても大きい事です。できるだけガンバって行けたらいいかな。。。まだ不安だけど。。。

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2012年9月19日 (水)

これからが正念場だと思う・・・と言われる

今から思うと、父は温泉旅行から帰ってきてから、何となく・・・
・・・それを境に、ガクンとdown、気持ちが落ちたような感じがした。
同時に、それからどんどん体調が目に見えて変わったように思う。

そんな時でした。 先日訪問看護師さんが来たときに、

「○○さん、何かやりたい事とか目標とか持ってますか?」と看護師さん。

父 「ありません。」

「何も? また温泉に行くとか。。ダンスができるようになるとか・・・。」

父 「ありません。 もう、旅行は行けないし、ダンスも無理。」 とキッパリ。

「んー、そうかぁ。。」

父 「・・・身体が駄目。」

「○○さん、旅行行ってから急に元気がなくなっちゃった感じがするんだけど、どう?
目や表情に元気(覇気)がないなぁって、ちょっと思ったりするんだけど・・・」

父 「・・・・・」

「・・・何でもいいから、何か目標とかある方がいいんじゃないかなぁ?
何もないと、だんだん鬱っぽくなって気分が余計に落ち込んできちゃうから。。。」

等々、そんな会話のやり取りを訊いていました。

私も経験したことある・・・down
やりたい事や目標などが全く持てなくなってくると、だんだん鬱っぽくなってくるんですよね。。。。そして気持ちがどんどん閉ざしてくるようになると、ある日(自分で気付くのはまだマシ?なのかもしれないが)無気力、無感動など・・・、うつ状態に陥っていっている。

なのに、人にはつい、がんばって・・・という言葉を投げてしまう。。。
けど、そんな簡単じゃぁ無いんだよね。。。
自分だって、そう。
がんを持っていると、痛みは「転移」や「死」という不安や恐怖で襲ってくるし、
特に痛みは、何とか持ちこたえようとする小さな「気力」さえも奪い取って、絶望感を残していったりする。。。

・・・そんな事を思い出しながら、看護師さんの言うことに思い当たる父の変化に「やっぱりそうか・・・」と思った。

旅行前の2週間くらい前から痛みや吐くことが多くて、旅行前に緊急で病院へ行った際も、入院を進められながらも、「大丈夫です。」と言って入院しなかったのは、
きっと、何としても旅行に行くんだ!という強い気持ちがあって断ったんだろうと思った。
その証拠に、「お父さんは、この旅行に懸けているんだ」と言っていた。

その言葉が語っているように、一気に・・・というくらいに旅行後から変わってしまったことが色々ありました。

■旅行後~2週間
・気力をなくしていき、テレビやラジオも聴かなくなる。
・体重減少(▲1、2キロ)&声を出す力も落ちて、話すことをしなくなる。
・葬儀のことや今後のことを言い出した。
・食事以外はほとんど寝ている状態&表情がなくなる。(この頃から痛み止めが強い貼り薬に変わる)

■2週間~4週間目
特に目に覇気がなく死んだように表情のない寂しい眼になってしまった。
体力も、激変というくらいに一気に落ちる。
テレビもみたがらず、面白いテレビを見ても全く笑わないし、その顔は無表情で暗い。
そして、
今まで何とかできていた入浴もシャワーも一人では出来なくなり・・・
外出もしたがらなくなり・・・、欠かさず飲んでいた薬草も飲まなくなったり・・・
右腕、(3ヶ月前から右腕が肩の高さまでしか上がらなくなっていたが)と、
右手が殆んど動かせなくなり・・・トイレに行くにも、一人では困難になってきたと言い、
ここ最近はガクッと力が抜けて転んだり、階段も上がれなくなった。

・・・・・旅行後、1ヶ月でこんなに急激に変わってしまった。
(本当に心(気)と病は相互に作用しているんだ・・・と感じる。)

そして、看護師さんに言われたのです。

「これからが本当に正念場になってくると思う。
いずれ下の世話をしなければならなくなってくると思うけど、
それを、どこまで出来るか・・・、家族でよく話し合ってみてくださいね。」と言われる。

正直・・・、母親なら同性だから下の世話もシャワーもまだ抵抗なく出来ると思うけど、、、2度ほど手伝ったシャワーで感じたことは、見ないように介助していたが、
やっぱり異性であり、しかも父である人の介助は、かなり精神的に抵抗とストレスを感じた。

(私には無理・・・。 今は考えられない。。。)
(申し訳ないけれど、無理。。。) そう思ってしまった。

でも、看護師さんは、「私の父の時もそうだったけど、私も他の人に頼んだから。。。
やっぱり異性は抵抗あるもんね。。。他人だと割り切れるんだけどね。。。」と、
優しく言ってくれて、正直気持ちが助かった。。。

(私は母親の闘病と最期のときは結婚して離れていたので、介護や最期に全面的に付きっきりで向き合うのはこれが初めてなのですが・・・。)
今後は、ケアマネさんの人と相談してどんな介助ができそうか・・・、
これからがいろんな意味で、本当に厳しい正念場になりそうだと感じたのですが、
・・・どうも父の衰弱してやせ細った姿や、覇気も希望もなくした眼と顔の表情を見ると、
がんで弱ってきているというよりも、本人の気力、気持ちそのものの絶望感が強く感じるというか・・・、漂っているような感じがして、そういう眼や姿を見るのがとても哀しくて重い。。。

だから、自分も気持ちがズーンと重くなって気が滅入ったり、食欲落ちたり、おいしく食べられなかったり。。。
本人がいちばん辛いのはわかっているけど、胃が重く感じたり、無気力気味になるときがあったりする。。。

でも自分まで精神的に駄目になったら本当に大変なことになると思うし・・・。
だから、旅ブログを書いたり・・・ちょっと外出して美味しいものを食べたり・・・、
好きな海外ドラマをみたり・・・。そんな事をしてみようという気持ちになれた時は、
出来るだけやって、心を軽くしながら向き合っていけたら・・・と思っている。

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2012年9月17日 (月)

がんと心のケア 精神腫瘍医

精神腫瘍医という言葉、知っていますか?

がんの患者さんやその家族が抱える精神的な苦悩に向き合い、
心のケアにあたる医師のことだそうです。

********** 以下東京新聞(9/16)より一部抜粋

告知後の心理 
医師からがんであることを告知され、その内容が将来の見通しを根底から
変えてしまうような否定的なものである場合、
人は一般的に次のような心理的な反応をたどることが多いと言われる。


第一段階 【衝撃を受ける段階】 2、3日(あくまで目安で個人差がある。)
混乱、不安、興奮など。
頭の中が真っ白になり、何も考えられず、医師の説明もあまり覚えていない。


第二段階 【不安定な段階】 1~2週間
無口(無口になって心を閉ざしてしまう)
否認、現実逃避、あきらめ(不安や恐怖、無気力、あきらめ、悲しみが交錯)
悲しみ、怒り(ふだんなら気にならない待合室の待ち時間や他人の笑い声も気に障り、
腹が立つように。)


第三段階 【適応段階】 2週間以後 
受け入れ(徐々に落ち着き、現実を受け入れる。前向きに考えられる。)
適応(最善の治療を模索して積極的に行動する人も)

以上のような反応をたどるが、第一、第二段階の精神的症状と身体的状態が続くと・・・

適応障害 → (2週間以上程度が強く続くと) → うつ病 と診断される。 

 
clip 適応障害
告知後に不安、抑うつ、過敏、混乱などの精神的な症状と不眠、食欲不振、
全身の倦怠感などの身体的な症状が続くこと。

※ がん患者の30~40%が適応障害やうつ病といった状態になると言われているそうで、このような症状が見られる場合は精神腫瘍医が対応するらしい。

pencil 心の状態が悪化すると、がんの進行に悪影響を及ぼす
がんと心は相互に影響を与え合っているそうで、うつ病の発見と治療が大事な理由は、うつ病を合併したがん患者さんの免疫機能が低下し、がんの進行が早くなることが
知られているからだ。(聖路加国際病院精神腫瘍科医長 保坂 隆)

pencil 家族は「第2の患者」
がん患者の家族は、相当な精神的負担を負い、心のケアを必要としているケースが少なくない。それは矛盾した二つの役割を担っているからだといわれる。


1、がん患者に対しての「治療者」的な立場
・・・ひとりの時には人知れず泣いていても、患者の前では明るく振舞い、励ます役割を担う。

2、自らが精神療法を必要としてる「患者」としての立場
・・・情緒的な面で患者を支えることに限界を感じる。さらに、近い将来、悲嘆の状況に陥ることが避けられない場合、喪失感のほか、生活面や経済面での不安(収入減の喪失)などを抱える。しかも、そうした苦悩を訴えることをためらい、口にださないため、多大なストレスとなる。

heart 家族のストレスの重荷を軽くすることは、患者本人の苦悩を和らげることにもつながるという。


■ 東京新聞 大図解バックナンバー 
http://www.tokyo-np.co.jp/daizukai/

clip 精神腫瘍科医は1977年に米国のスローン・ケタリング記念がんセンターを
皮切りに徐々に世界に広がり、日本では90年代から国立がんセンターなどで配置が始まったそうです。日本ではまだ少ないそうだが、精神腫瘍科医が在籍する病院は、
「日本サイコオンコロジー学会」のホームページで見ることができるとのこと。
■日本サイコオンコロジー学会 http://jpos-society.org/


↓ こちらのサイトは、日本サイコオンコロジー学会にリンクされているのですが、
   がん患者さんやご家族にとっていろいろ参考になるかもしれません。
■がん患者さんとご家族のこころのサポートチーム http://support.jpos-society.org/

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2012年9月10日 (月)

こんなサラダならたくさん食べたい!

サラダって美味しい!と思わせてくれるアフタヌーンティーのランチ restaurant

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これは9月の新作 「マーマレードポークとほうれん草のサラダサンド」

豚のコンフィをオレンジソースに漬け込んで、オーブンで焼き上げたものだそうです。
豚肉はとても軟らかくて、角煮の味に似てるかも。

数種類のサラダに、カリッとした歯ごたえのチーズブレッド(これが美味しい!)に
バルサミコのドレッシングがかかっていて、とても美味しいです。
(1週間食べ続けても飽きないかもなぁ~)


サラダと一緒に、9/14までの限定
「葡萄とマスカルポーネクリームのショートケーキ」も♪

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これも、甘すぎず美味しかったです。

ここ1年ほどハマっているアフタヌーンのランチはかなりお気に入りです。
過去のレシピ本を1冊購入しましたが、また出版してくれないかしら?

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2012年9月 6日 (木)

グリーンスムージーを父に飲まてみたら・・・

最近流行っているグリーンスムージー。

野菜やフルーツを一度に楽に摂れるなんて、いいかも!?と思い、
この前、ブレンダーを購入。

最初は自分のために購入したものでしたが・・・、
ガンの父が食べられる1日の食事量は、現在、豆腐のトレー1個分あるか?
無いか?という僅かな量になってきてしまっている。

食事も水分もほとんど摂れなくなってきていて、食欲もあまりない。
しかも、ときどき食べた直後に全部吐いてしまうこともある。

そのせいか?旅行後1ヶ月で2キロも激減。
筋肉も脂肪もほとんど無くなり、骨と皮だけの身体になって、ガリガリ。
トイレは何とか自分で行くが、数メートル歩くのが精一杯の様子。

何とか食べさせたいと思って、グリーンスムージーを飲ませてみることに。

今日の材料は・・・
小松菜、パセリ、ニンジン、りんご、梨

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けっこうな量ですが、出来上がりは450mlくらいかな?
パセリの味がけっこう強かったけれど、梨の甘みで美味しくできました。

スムージーにする前の材料をそのまま父に食べさせようとすると、
りんご1、2切れを食べるのがやっと、という状況なのですが、
スムージーにしたら、父は約200mlも飲めました!

これはいいかもsign01
消化にも良いし量も栄養も摂れるので、毎日いろんな材料で作っていこうと思います。

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2012年9月 4日 (火)

大麻には抗がん作用があり、海外では医療麻薬が処方されている

「アメリカの国立ガン研究所(NCI)が大麻の持つ抗がん作用を認めた」という。

いろいろ検索していたら、以下のサイト「正しい情報を探すブログ」で、様々な事が書かれていたのを見つけたので、一部のみ引用させてもらいました。(長文のため、一部のみ)

正しい情報を探すブログ: http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11309759902.html
◆記事投稿日: 2012年07月23日
◆テーマ: 病気の原因
◆タイトル: 大麻の真実!大麻に抗癌作用!アメリカ国立ガン研究所も認める!医療用大麻などについて

ここより引用 **************************************************

テレビなどでは「大麻」のことを単なる麻薬のように報道していますが、「大麻」にはかなり深い歴史があり、かつての私達の生活と密接な関係がありました。

それこそ、衣服や工業製品などでも大麻は使用されており、現代で言う石油のような存在でした。

☆古代の日本と大麻
URL http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/10/000350.html 


日本人と大麻の関係は縄文時代までさかのぼる。
福井県の鳥浜遺跡という10000年前の縄文時代の遺跡からは、大麻の種が発見されている。食料や燃料に利用されたようだ。
トルコの遺跡から5000年前の大麻の布が出土されているが、それよりさらに古く、世界最古と言えるだろう。

縄文時代は土器に縄を押しつけて模様(縄文)としたのだが、その縄も大麻の縄だった。大麻は植物繊維の中で最も長く、しかも強い。
もし大麻の布がなければ、縄文の人々は寒さ厳しい冬を越せなかったかもしれない。
大麻は我々の祖先の肌を暖かく包み、守ってきたのである。

:引用終了

近年、最新の技術により大麻に関する研究は進み、大麻に抗癌作用があることも判明してきました。
たとえば、アメリカの国立研究所などでは大麻の抗癌効果を認めており、このような発見からアメリカなどの国では「医療用大麻」というものが存在しています。


☆wiki医療用大麻
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E7%99%82%E5%A4%A7%E9%BA%BB 

引用:

医療大麻(いりょうたいま、Medical Cannabis)または医療マリファナは、大麻(マリファナ)や合成THC、カンナビノイドを利用した生薬療法。

現在、アメリカ合衆国の一部の地域とカナダ・イスラエル・ベルギー・オーストリア・オランダ・イギリス・スペイン・フィンランドなどで使われている。
大抵の場合、大麻の使用には処方箋が必要になり、地域法によって販売(配給)の方法が異なるのが特徴である。

合成大麻成分のドロナビノール(英: Dronabinol)(合成テトラヒドロカンナビノール:THC)はアメリカ合衆国でマリノール(英: Marinol)という商品名で販売され、末期エイズ患者の食欲増進、ガンの化学療法に伴う吐き気の緩和のために処方されている[1]。
また、ドロナビノールはドイツにて、抽出大麻成分を含有するサティベックスはカナダ[2]にて処方されている。

大麻の医療活用について多くの研究がなされ、現在も研究が進められている[3][4][5][6]。

しかし日本では大麻草は大麻取締法の規制により、大麻の化学成分(THC、CBDなど)は麻薬及び向精神薬取締法[7]の規制により、医療目的であっても使用、輸入ならびに所持は禁止されている。
:引用終了


☆アメリカの国立ガン研究所(NCI)が大麻の持つ抗がん作用を認めた(原文ページ)
URL http://norml.org/news/2011/03/31/national-institutes-of-cancer-website-recognizes-cancer-killing-properties-of-cannabinoids

大麻を使用した癌を抑える実験映像です。
大麻が癌細胞の増殖を抑えているのがわかります。

※(引用先ではこの部分に実験映像が載せてありますが、ここでは省略しています。)


調べてみると、大麻の薬理成分である「THC」と呼ばれる物質が癌細胞の増殖を抑えているようです。しかも、実験の記録などを調べてみると、ほとんど副作用が無いことがわかります。
大麻は正常な細胞を傷つけることなくガン細胞だけを死滅させているようで、抗癌作用&副作用無しという大変優秀な薬なのです。

一般的な抗がん剤は副作用が強く、健康な細胞にもダメージを与えてしまいますので、この大麻がん治療がいかに凄いものであるか分かるかと思います。

途中省略・・・

☆随想 大麻犯罪の創造者(武田教授)
URL  http://takedanet.com/2007/04/post_f17a.html

引用:
― 大麻 犯罪の創造者は誰か? ―

「大麻」はかつて日本の代表的な農作物だった。
それが現在はすっかり変わって麻薬の代名詞のようになった。
「大麻」と言えば多くの日本人は腫れ物に触るようにビクビクし、麻薬の温床となっている。

日本は大麻を栽培するのに適した気候だったことや、大麻から優れた繊維がとれ、衣服やその他のものに利用できることから、昔からつい最近、つまり太平洋戦争が終わるまで、日本各地で栽培されていた。もちろん麻薬としての規制はなかった。

日本で大麻の栽培や使用が禁止されたのは昭和23年だった。
それまで日本で栽培されていた大麻に麻薬の作用があったことが分かったのではなく、日本の敗戦によってアメリカ軍が進駐し、その占領下でアメリカの政策がそのまま持ち込まれ、大麻が禁止されたのである。


引用ここまで **************************************************

まだまだ、この先には続きがありますので、興味のある方は冒頭のアドレスで。

もちろん、私は麻薬や脱法ドラック等には絶対反対ですが、
この大麻(マリファナ)だけは、一部の海外では医療麻薬の処方がされているという事実がある。
それに、化学療法の放射線や抗がん剤よりずっと身体にやさしいのではないか?!
もし大麻も選択できるなら、自分だったらまずは化学療法より大麻医療を試したい。
(大麻はどこでも育てられる?らしいので、薬品会社は困るのでしょうね?)

とにかく、日本でも1人でも多くの人が大麻という草を正しく知り、
その多様な利用価値はもちろん、医薬としての利用を日本の医療に導入してほしいと強く願います。

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