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2011年3月19日 (土)

東日本大震災・・・

この度の大震災、津波による災害を受けられた方々に対して、
心よりお見舞い申し上げます。

毎日ニュースで震災で被害に遭われた方々や被災地を見るたび、本当に胸が痛みます。今も命をかけて、必死に被爆の恐怖と闘いながら日本を守ってくれている方々に対しても、無事と健康を祈りながら見守っています。

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私はこの日、会社でファックスを流していたときでした。
高速道路に面した古いビルの7階で、ちょっと大きめのゆっくりした揺れを感じました。
だんだん揺れが大きくなり、オロオロ怯えていた私に、同僚が机の下に潜りながら「机の下に隠れて!!」と叫んでくれました。

縦にヨコに大きく揺れて・・・不安定なものは倒れたり、机から落下したり・・・。
とうとう東京に大地震が来た!と思ったら、
男性社員がこんな揺れのときにもヤフーを見ていたようで、「震源は宮城!だ」と言いました。東京でこんな揺れなら、宮城は大変なことになっているだろうと思った。

揺れが納まると、普段の地震では何事もなかったように仕事の再開になりますが、
未だかつてない揺れだったので、外に出た方が良いということになり、荷物を持って外に避難しました。
外に出ると、周りからもゾロゾロと人が避難していましたが、避難している移動中も大きな揺れは続き、1時間以上外に避難。それからビルに戻ったものの、揺れは続き、外は車や人で混雑してきたため、すぐに帰宅させてもらった。

途中、ビルのガラスが割れて落下していたり、水道管が破裂していたりして怖かった。
タクシーは捕まらない、バスも長い列で乗ることができず・・・、
歩く以外に方法はないと、歩いて渋谷まで向かったらものすごい人で大混雑だった。
駅はすでにすべてシャッターが閉まり、駅には入れなかったし、電車も動いていなかった。

しかもよりによって、私はこんな時に珍しくmobilephone携帯電話を忘れ、
時間も地震の状況も全く分らず、本当に不便と不安を感じました。

渋谷駅の交番で「横浜方面は・・・」という大雑把な道案内を聞き、
ひたすら大通りと高速道に沿って真っ直ぐ、5時間以上歩き続けた。
大きな通りはずーっと大渋滞でバスやタクシーが歩く人を追い越すこともない状態だった。

ちょうどこの日の夜は風が強く、寒かった。
長時間歩いているにも関わらず汗をかくどころか、薄着をしていたためか?寒さで震えてきたし、ヒールのあるブーツで脚も痛い。。。

大通りの歩道はどこまでも歩く人でいっぱいで、道路にまで人が歩きだすほどだった。
携帯もなく時間も、状況も分らず、一人で歩くのはすごく心細かった。

私は携帯電話を忘れたが、携帯も繋がらないようで皆、公衆電話に並んでいた。

途中、レストランで温かいスープを炊き出ししていたので、それを頂いて少し温まった。
外にテレビも出されていたので、そこで初めて津波で大変なことになっている状況を知り、
言葉を失うくらいショックを受けた。
映画でも見ているような現実とは思えない光景で、何が起こっているのか一瞬わからなかったくらいだった。

私には東北に知人などはいないが、温泉で年1回は東北地方へ行っている。
だから東北の人や自然が大好き。
それが、こんな姿になってしまったなんて。。。。

心が重くなりながらも歩き続けた。とりあえず家に帰らなきゃと。
途中でもう歩けない、駄目だ・・・と諦めたとき、電車が動いてくれた。
それから、神奈川県の地元まで行ったが、JRは運休。
父に車で迎えに来てもらうことができ、家に着いたのは夜中3時だった。

家について、ようやく地震の詳しい情況を知った。
そして、余震や震災の地のことが気になり、結局朝まで眠れなかった。

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コメント

みるくままさん、
7日の夜、大きな余震がありましたね。
私もびっくりしました。
関東は停電はないですが、テレビを見ると柔らかい布団が左右に浮くほどの揺れに、
どんなに強い揺れなんだ!?と、想像を越える揺れや、
停電して真っ暗闇の中で避難すること、11日の本震による深い地割れを見て、
私はまだ経験したことはないけれど、ものすごく恐ろしいと思いました。

余震は日本、海外の例を見ると、
阪神は当日、ニュージーランドでは半年後の今年2月、スマトラでは10月ヶ月後に大きな余震があったということで、
今後も最大震度5、6の揺れは半年から一年間で、たまに起こると思っていた方が良いということでした。


食品は、こちらは納豆だけがありません。
他はほぼ買えないことはなく陳列しています。コンビニは場所やメーカーによって差が出ていましたが、ようやく全て揃い始めました。でも単1電池は未だにどこにもないですね~。

まだまだ余震があるので、気をつけてくださいね。

投稿: アネゴ | 2011年4月 9日 (土) 13時01分

アネゴさん
水曜日にコメを書かせていただいて、昨夜、また大きな余震がありました。

仕事を持ってきていたので、パソコンに向かっていて、11時過ぎにデーターをUSBに保存し、そろそろ寝ようかとベットに入ってすぐでした。

はじめはそれほど大きな揺れではなくて「あっまた揺れてる」くらいにしか思わなかったのに、だんだん大きな揺れになって・・・

寝室のブラインドがガシャンガシャンと音を立て始めました。その瞬間、電気が全てストップ。

停電です。

枕元に置いている懐中電灯を持ち、ちょうど泊まっていた母の寝室へ。

すでに母は起きていて、懐中電灯やラジオを母のところに置いてきました。

そして今日は主人も私も生徒への連絡のために6時過ぎには母を残して出勤。

市内の学校関係は、全て臨時休校でした。

この余震、まだしばらくは続きそうです。

ご心配いただいた食べ物は、「牛乳、納豆、ヨーグルト、もやし、卵」以外は不自由なく手に入るようになりました。
買占め防止のために「一家族一個限り」とかはありますけどね。
コンビニの中は、相変わらず品物が無くガラガラです。

テタニー発作後の症状(手の痺れや硬直、唇の痺れ等)を防ぐために『牛乳・ヨーグルト』を毎日摂取するように言われていたのですが、なかなか手に入らなくなっているので、地元のかかりつけ医に相談して、カルシウムの錠剤を処方してもらいました。今は落着いています。

100年に一度と言われる大きな地震が、一ヶ月の間に2度も経験したのですから、・・・

大当たりですよねぇ

宝くじでも買ってみようかしら?

昼過ぎには電気も普及しましたよ。

投稿: みるくまま | 2011年4月 8日 (金) 21時45分

こちらへのコメントが後になってしまいまして、失礼しました。
被災地ではないと言え、この大震災は本当に膨大な範囲で被災、震災の影響がありますね。
大きな揺れが続くなか、園児達の保護など・・その後の状況、ほんとうに、大変でしたね。
でも皆さん、無事で本当に良かったです。
あと、お婆さんの知恵はすごいですね。私も参考にしたいと思います。
やっぱり経験した人の言葉は実践で何よりも役に立ちますね。

薬も何とか調達できて良かったです。
食べ物は、今は大丈夫なんでしょうか?

投稿: アネゴ | 2011年4月 7日 (木) 22時25分

アネゴさん、お久しぶりです。
青森は、ご存知の通り八戸が津波の被害にありました。八戸市内は未だに避難所で暮らす方が大勢いるようです。
私の住む青森市は、大きな被害は無かったのですが・・・

あの地震のとき、私は勤務する幼稚園の帰りの通園バスの添乗中でした。
2コース目のバスで、後5人が乗っている状態でした。今までに経験したことの無いような大きな揺れがスクールバスの車体を揺らし、近隣の住宅や商店からは避難した人が外に出てきました。

恐怖心よりも「この子達を親元に届けなければ」という気持が強く、「先生、降りて逃げるの?」と怯える子供たちに「大丈夫、ちゃんとお家に連れて行くからね」と声をかけ、停電で信号が作動しない国道を、バスのドアを開け手を上げて他のドライバーに合図をして通してもらいました。

最後の子が降りるまでに、何度も余震があり、その度に路肩に停車し、安全を確認しながらの運行でした。
なんとか子供たちを親御さんの手に渡し、園に戻りましたが、まだ残っている子がたくさん・・・

電話も不通になりどんな方法で帰すのが安全かを考えながら、時間が過ぎていきました。

もちろん、迎えに来てくれた方もいましたが、迎えに来られない事情がある方もいて・・・

結局、職員が手分けをして自分の車で、迎えに来られない方のところへ子供を送っていくことに。

私も一人の子を送りましたが、停電している国道の交差点を、今度は窓から手を出して、通してもらいました。

本当に譲り合いの精神が発揮された時でした。

自宅の近くの実家には、足の悪い母がいて、迎えに行きたくても職場を離れることも出来ずにおりましたら、主人が先に迎えに行って自宅に連れてきていました。

昭和一桁生まれの母はとても気丈で、「電気の次は水が止まるよ。使い水にする為に、浴槽にいっぱい水を溜めなさい。そしてガスが止まる前に、ご飯を炊きなさい。飲み水を確保するのは、クーラーボックスにゴミ袋を三重にしてそこに水を入れなさい。ろうそくを立てるために、使わないようなお皿に蝋をたらして固定しなさい。今晩は寝るときも服を着たまま。長靴をベットの近くにおいてはいて逃げられるようにしなさい」

まさに、おばあちゃんの知恵袋炸裂でした。

幸い我が家では、反射式のストーブ2台を非常用に取っておいてて、灯油もホームタンクにいっぱい入れたばかりでしたし、ポリタンクにも2つありましたから、寒くはありませんでした。

一夜明け、翌日主人の友達からSOSが・・・

その方は、オール電化のマンションの7階に高齢のご両親と住んでいるのですが、停電のため何も出来なくなってしまい、あたたかいお茶を飲むためのお湯がほしいというので家に来たのです。

我が家に入るなり「ずいぶん、あずましい生活してるんじゃないか?」と驚き・・・

外の様子を聞きますと、食べ物を求めてヨーカドーには200人以上が並んでいること、コンビニには全く食べ物が無く、やっと見つけて買えた物はハーフサイズのロールケーキ1本とジュースが1本。それを夕食にして親御さんに食べさせたと言うのです。

そこで、とりあえずお湯をポットに沸かして、一度マンションに帰ってから、もう一度来てもらうことにしました。
我が家はプロパンガスなので、ガスも使えていました。
炊き出しです。

ご飯をたくさん炊いて「豚汁・焼き魚・漬物・お浸し」といったお年寄りの好みそうなものを作って発泡スチロールの箱に入れて持たせました。

あちらこちらで、助け合いが始まり、少ないながらも、分け合って大変な時期を過ごしました。

あの日から3週間が過ぎましたが、青森市内のお店の棚は、空いたままです。
勤務が終わってから買い物に行っても、あまり物がありません。だから、休みの日に一週間分の食材をまとめて買うようにしています。

そして・・・

いつもは盛岡の病院から薬を送ってもらっているのですが、電話もつながらず・・・
3日目でやっとつながったものの、「送りますが郵便事情が混乱しているのでいつ着くかわかりません。後何日分薬がありますか?」

あと3日分だけだったので、地元のかかりつけのお医者さんに事情を話して、とりあえず2週間分の薬を出してもらうことになりました。

通院している病院も大丈夫だったようですが、かなり混み合っている様で、本当は、今月はじめに検査の予定でしたが、5月連休明けに行くことにしました。

長くなりましたが、こちらの状況をお知らせさせていただきました。

投稿: みるくまま | 2011年4月 6日 (水) 22時43分

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