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2011年3月の4件の記事

2011年3月30日 (水)

震災の影響でチラーヂンは短期処方

病院へ行ってきました。
今回はいつもの採血に超音波。

今頃思ったことですが・・・みんな、毎回採血ってしてるんでしょうか?
私は毎回必ずします。

今回の血液検査や超音波から見た甲状腺の状態は落ち着いているとのことで、一安心しました。

今回初めて知って驚いたことがありました。
甲状腺の薬「チラーヂン」は、福島県いわき市にある「あすか製薬」が98%製造・販売ということで、今回の東日本大震災の影響で、甚大な被害を受けて数日前までチラーヂンが製造中止になっていたんですね。
現在は徐々に再開しているそうですが、先生に訊いたところでは、5月頃からは通常どおりに処方できると思うとのことでした。
ということで、通常3ヶ月分の処方の私の場合は、今回は2ヶ月分の短い処方でした。

遠くから来院する人には当面大変かもしれません。緊急時の全員短期処方ということですが、その際も薬だけをもらうことはできず、診察も必要のようです。

そのほかには、私が気になっていることを訊いてみました。
※下記内容は後から細かい部分を思い出し、ちょっと編集しました(4/2)

■ヨード131が空気中に検出されているが、甲状腺を全摘した人の場合の影響はありますか?

身体の中にヨード131が入っても、甲状腺を全摘した人はヨードを取り込む甲状腺がないので、体の中を廻っても「甲状腺がここにはない・・・」ということで、尿から排出されるから心配はないということでした。
また、「空気中のものより、食品で取り込む方を気をつけないといけない」という様なことを言っていましたが、「これは(自分判断ですが)全摘の人には同じくヨード131に関しては影響はない」と思っています。

■チラーヂンを飲まないと(こんな事はないことではありますが)死んでしまうんですか・・・?と訊いてみた。

実際、飲まなくなった人はいないのでわからないが、と前置きし、
チラーヂンを服用しなくなって2週間くらいすると、むくみが全身に出てきたり、
肌がカサカサになったり、だるくなったり等の症状が出て来ます。
1ヶ月すると・・・(という話もしてくれたが忘れてしまった(>_<"))

今まで飲んでた人が検査、治療以外に長期間飲まなくなるという事がないから・・・と、
はっきりした事は(心配症な私だけに?)先生は言わなかったようですが、
「チラーヂンを服用しなくなると、命に関わってくることは確か」と言われました。

ただし、
甲状腺があっても甲状腺ホルモンが出ていない、または少ない状態に近い「橋本病」で考えると、1年、2年と橋本病とは気付かずに過ごしている人がいるので、そのことから考えると、そういう(橋本病のような)状態になるのではないか?
ただそれでも、
薬を服用すれば(橋本病の人も)元気になっていくのでね、大丈夫だと思うけど、
今まで服用していた人が飲めなくなるのは命に関わってくる問題ではある。
というお話しでした。

※上記については私の主治医が私に言ったことですが、心配な方は診察時に必ずご自分の主治医にご確認してみてください。
(コメントを下さった“いのぶーさん”のコメントにはより詳しく書いていただいいるので、
そちらを参考にしてください。

被災地でないために、自覚していなかったことですが、「薬がなくなる、飲めなくなる」
そういう危機に直面して、意外なところで震災の影響が身近にでてきて、
はじめて、被災した場合の備えを考えさせられました。

被災地で、物資がなかなか届かず、
やっと物資や薬が届いたが、その数日後になくなった方がいました。
薬がなくて、命を失ってしまうことの怖さを感じました。
今もどこかでは薬や治療を受けられない方もいるかもしれない。。。
行き渡っていることを願っています。。。

また今回のことで、自分もチラーヂンは1カ月分は常に持ち歩いておこうと思いました。
また何かあったときに、チラーヂンを服用していることも身近な人に伝えておいた方が良いと思いました。

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2011年3月27日 (日)

気持ちが楽になった友人のひと言

ちょっと揺れがなかったと思ったら、24日は朝から揺れて怖かった。。。

昼間も外を歩いていたときに、ぐらつく橋を歩いてるみたいに足元が揺れたような感覚になり、地震かと思った。

原子炉は爆発して間もないし、小さい頃から地震にパニックを起こす私は、できれば1週間は家を出たくはなかったが、私の会社は大地震発生後の週明けから通常勤務になった。

私ともう1人以外は全員鉄道運休もなく出社してがんばる雰囲気に、
「怖くても頑張らなきゃいけない・・・」という思いは次第に強くなり・・・
毎日毎日頻繁に起こる大きめの余震には怯える気持ちが強まるばかり。。。
それでも、がんばらなきゃ!行かなきゃ!!・・・と思っているうちに、
不眠はもちろん、動悸、呼吸の乱れ、寝汗、ドライマウスなど・・・

たくさんの心的症状が増えて、それが次第に強くなっていきました。
これ以上放置すると、パニック症状になって外に出られなくなるかも。。。
もぅ心療内科へ行って安定剤をもらうしかない・・・と思っていたときでした。

元同僚がメールで書いてくれた一言で、気持ちがとても楽になりました。

阪神大震災を経験した彼女は、

地震は怖いものです。 怖がって良いのです

とメールをくれました。

何でもない普通の言葉ですけど・・・「そうだよね、怖がっていいんだsweat01」と心で言っている自分にハッとすると同時に、肩から力が抜けたというか・・・、そんな感じでした。

怖がらずにがんばらなきゃ!!と思っていたことが、いつの間にか強迫観念となり自分を苦しめていたようです。
思うことを止めてからは、心も不安も軽くなったように思います。
でも、もちろん不安はそのほかにもあります。

今でも長時間の電車通勤や、携帯の緊急エリアメールの音、
携帯のメロディ音などにもビクッとし、心臓がバクバクし出して恐怖を感じます。
だから、自分の携帯は緊急エリアメールは受信しない設定に変えました。

たったそれだけでしたが、「もう鳴らない」と思ってから安心できました。
もちろん、地震が起きるのは事前に知ることはできなくなりましたが、
いつ鳴るかわからないという恐怖から、もう絶対に鳴らないと思っただけで、
不思議と恐怖が1つ減らすことができました。

地震酔いも都内の方にも増えているようですが、
いろんな不安感から強くなるということなので、不安を減らすための自分なりの対策や
リラックス方法、安全確認などを試してみるのも軽減につながるかもしれないなと思った。

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2011年3月21日 (月)

震災の影響

震災からまだまだ大きな余震が広い範囲で続いています。
そして原子炉の恐怖。

大きな余震に恐怖や不安感が強くなっています。
余震が続く中、不安と恐怖で眠れない、食欲がでない。。。
電車で2時間近く掛かる会社に通勤、出勤するのが怖い。。。。

被災地ではありませんが、私もそんな不安と闘いながら日々を過ごしています。
停電による電車の停止や徐行が怖くて、心臓がバクバクして脚が震え、お腹を下す等の症状も。。。

でも、被災地の人たちに比べたら、、、私のこの恐怖なんて何ともないものですが、
遠く離れた東京でも、やはりこんな大きな揺れの地震は人生初めてなので、
同じように不安を抱えている人きっといると思います。

地震後は電車の運休などで、先週は3日間会社を休みましたが、
その間スーパーへ行ったら、入場規制になっていて長い列ができていました。
仕方なく他へ行ったが、同じ。。。
運よく入れたスーパーでも電池や米、パン、カップ麺などは売切れ。
こんな状況、見たことがなくちょっと怖いと思いました。

最初は私も周りの状況に不安を駆られ・・・地震直後は買占め状態に陥りましたが、
停電があっても被災地ではないのだから、買い占める必要はないし、
買い占めたら被災地はもっと苦しくなる。。。
まだまだ余震や停電は長引くようなので、災害時の備えはしておきますが、
今は必要なものだけを買っています。

また、原子炉からの放射能漏れ・・・これが一番不安です。
広い範囲で問題のないレベルとは言え、空気中や食物にも汚染がでています。

風評被害は良くないですが・・・、
「食べ続けてもCT1年分しかならない」と国は言っていますが、
ほうれん草だけでなく、水、空気等々、あらゆる食品が汚染されたら、
その汚染されたいろんな物を毎日食べている状況で、どうなのか?!ということが知りたいです。国や専門家は「すぐには影響はない」と強調しますが、そんなのは当たり前で、放射能は少しづつ体内に蓄積され、それが数年後、何十年後・・・という形で健康に影響を与えるものだと思います。

不安を煽るのはよくないですが、
放射能が出続ける限りは危険はある。
数年後、数十年後に『がん』と告知されるかもしれない。
数年前、告知された自分の恐怖を思うと、国が出す情報はすごく少ないのに、安心を安易に訴えるのもどうなのかと・・・・
私は不安です。。。。

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2011年3月19日 (土)

東日本大震災・・・

この度の大震災、津波による災害を受けられた方々に対して、
心よりお見舞い申し上げます。

毎日ニュースで震災で被害に遭われた方々や被災地を見るたび、本当に胸が痛みます。今も命をかけて、必死に被爆の恐怖と闘いながら日本を守ってくれている方々に対しても、無事と健康を祈りながら見守っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はこの日、会社でファックスを流していたときでした。
高速道路に面した古いビルの7階で、ちょっと大きめのゆっくりした揺れを感じました。
だんだん揺れが大きくなり、オロオロ怯えていた私に、同僚が机の下に潜りながら「机の下に隠れて!!」と叫んでくれました。

縦にヨコに大きく揺れて・・・不安定なものは倒れたり、机から落下したり・・・。
とうとう東京に大地震が来た!と思ったら、
男性社員がこんな揺れのときにもヤフーを見ていたようで、「震源は宮城!だ」と言いました。東京でこんな揺れなら、宮城は大変なことになっているだろうと思った。

揺れが納まると、普段の地震では何事もなかったように仕事の再開になりますが、
未だかつてない揺れだったので、外に出た方が良いということになり、荷物を持って外に避難しました。
外に出ると、周りからもゾロゾロと人が避難していましたが、避難している移動中も大きな揺れは続き、1時間以上外に避難。それからビルに戻ったものの、揺れは続き、外は車や人で混雑してきたため、すぐに帰宅させてもらった。

途中、ビルのガラスが割れて落下していたり、水道管が破裂していたりして怖かった。
タクシーは捕まらない、バスも長い列で乗ることができず・・・、
歩く以外に方法はないと、歩いて渋谷まで向かったらものすごい人で大混雑だった。
駅はすでにすべてシャッターが閉まり、駅には入れなかったし、電車も動いていなかった。

しかもよりによって、私はこんな時に珍しくmobilephone携帯電話を忘れ、
時間も地震の状況も全く分らず、本当に不便と不安を感じました。

渋谷駅の交番で「横浜方面は・・・」という大雑把な道案内を聞き、
ひたすら大通りと高速道に沿って真っ直ぐ、5時間以上歩き続けた。
大きな通りはずーっと大渋滞でバスやタクシーが歩く人を追い越すこともない状態だった。

ちょうどこの日の夜は風が強く、寒かった。
長時間歩いているにも関わらず汗をかくどころか、薄着をしていたためか?寒さで震えてきたし、ヒールのあるブーツで脚も痛い。。。

大通りの歩道はどこまでも歩く人でいっぱいで、道路にまで人が歩きだすほどだった。
携帯もなく時間も、状況も分らず、一人で歩くのはすごく心細かった。

私は携帯電話を忘れたが、携帯も繋がらないようで皆、公衆電話に並んでいた。

途中、レストランで温かいスープを炊き出ししていたので、それを頂いて少し温まった。
外にテレビも出されていたので、そこで初めて津波で大変なことになっている状況を知り、
言葉を失うくらいショックを受けた。
映画でも見ているような現実とは思えない光景で、何が起こっているのか一瞬わからなかったくらいだった。

私には東北に知人などはいないが、温泉で年1回は東北地方へ行っている。
だから東北の人や自然が大好き。
それが、こんな姿になってしまったなんて。。。。

心が重くなりながらも歩き続けた。とりあえず家に帰らなきゃと。
途中でもう歩けない、駄目だ・・・と諦めたとき、電車が動いてくれた。
それから、神奈川県の地元まで行ったが、JRは運休。
父に車で迎えに来てもらうことができ、家に着いたのは夜中3時だった。

家について、ようやく地震の詳しい情況を知った。
そして、余震や震災の地のことが気になり、結局朝まで眠れなかった。

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